【書評】 背筋が凍るほど面白かった自転車ノンフィクション 『シークレット・レース』

背筋が凍るほど面白かった自転車ノンフィクションを紹介しよう。

 

タイトルは「シークレット・レース」。1995年から2008年にかけて活躍した、アメリカ人の元プロサイクリスト、タイラー・ハミルトン( Tyler Hamilton )の告白を元に構成された、自転車レース界の裏、つまりドーピング問題を暴いた読み物である。

 

タイラー・ハミルトン(ウィキペディア)

これまでは漠然と、「隠れてドーピングをしている選手も、中にはいるんでしょ」くらいにしか思っていなかったが、実態はそんな生易しいものではない。プロフェッショナルな自転車レースの世界では、ドーピングが当たり前に行われているという事実。

それも、チームぐるみで、計画的かつ組織的にドーピングが行われているのだ。2012年8月にランス・アームストロングがツール・ド・フランス7連覇のタイトルを剥奪され、自転車競技からの永久追放の処分を科されたことはまだ記憶に新しいが、その引き金となった作品でもある。

著者のタイラー・ハミルトンは、自身が長年ドーピングにまみれ、キャリアを通じて嘘を突き通していた事実を告白し、同時に元チームメイトであった、ランス・アームストロングも同様にドーピングしていた事実を暴露した。
正直、本書を読むまでは、著者のタイラー・ハミルトンによいイメージがなかった。

「元チームメイト(ランス・アームストロング)をやり玉にあげて、ベストセラーにし、自分の飯の種にするとは、なんて図々しい野郎だ」

くらいに思っていた。

ところが、10ページも読まないうちに、彼のイメージは変わった。苦悩と葛藤の末、なぜこの本を書くに至ったか、書かなければならなかったかが伝わってきた。その結果、彼が過ごすことになった疾風怒濤の人生は、まさに息を呑む。

アマゾンに書かれたレビューを引用してみよう。

30件のレビューのうち、26件に最高点の「星5つ」がつく。

これだけでも、高く評価されていることがわかる。

 

小柄な名選手、タイラー・ハミルトンは大好きでした。歯を食いしばって、痛みに耐えて長距離を先頭で逃げる姿は、今でも目に浮かべることができます。そのために歯がめり込んで、医者の処置が必要になったということです。

彼は、身長172センチ。アメリカ人にしては小柄だ。自分自身を、「人一倍、痛みに耐性があり、それが強みである」と表現している。歯を食いしばりすぎて、歯茎にめり込んだとか、鎖骨を骨折させたままグランツールを完走してしまう常軌を逸した根性を見せる。

 

2003年には、リーダージャージを着たランスがアクシデントで遅れたとき、ライバルたちに待つよう前へ行き後ろに戻り、一生懸命説得していました。その彼もドーピングしていたのですが、そうせざるを得ない事情、選手社会の様子が克明に描かれています。

この姿は、YOUTUBEの動画で見た。彼が2003年のリエージュ〜バストーニュ〜リエージュで優勝したときの姿も動画で見た。どちらも、ドーピングをしていた時期に当たり、見ていてフクザツな気分になる。読み進めるうちに、タイラー・ハミルトンにシンパシーを感じた。プロとして生き残るために、チームとランスをアシストするために、そして愛する家族を守るために、彼がドーピングに身を染めずにはいられなかった背景を、気の毒に思った。

 

 

別のレビューも引用しよう。

 

自転車レースを、そしてドーピングを語るなら、必ず読んでおくべき書籍である。これまでトップカテゴリーの自転車レースで行われてきたドーピングについてはいろいろな形で知られてきたが、本書ほどはっきりとわかりやすく書かれているものは無いように思う。「まっとうな自転車選手」であるためにドーピングに手を出すまでの1,000日、それからどうやって薬を手配し注入する日々を送ることになるか。そしてツールの多くの伝説的なパフォーマンスが、「どれだけ巧みに大胆にドーピングを行ったかの披露」に過ぎなかったかを知ることになる。そういったことが実に具体的にわかりやすく書かれており、ツールを知らない読者も、そしてツールの出来事を知っているならば一層、引き込まれて読みふけってしまう。

ドーピングは、専属契約の医師(ときにはモグリの医者も)と二人三脚で行われる。プリペイドカードの携帯電話で秘密に連絡を取り合う、自宅ではクスリや注射器をアルミホイルに包んで冷蔵庫の野菜室に隠す、国境を超えてクスリを運ぶ運び屋を雇う、クスリは種別ごとに隠語が付けられている、レースとレースの合間の休息時に予め予約した人気のないホテルで血液ドーピングをする、その際は部屋の外に見張り番を立たせておく、証拠が残らないよう袋は粉々に砕いて水に流す・・・等、生々しい描写も多い。

 

本書は、単なるドーピングの暴露本ではなく、誰にでもあてはまる「人生を食らう秘密」への苦悩とそこからの脱出について語った物語でもある。この点で、読後はいくばくかのすがすがしさを感じ、ちょっと自分の生き方を見直したりするかもしれない。
いずれにせよ、もしあなたが一言でもスポーツにおけるドーピングについて語るなら、たとえそれが居酒屋での軽口であったとしても、本書を読んでおくべきだ(もし軽口が読むのより先だと、読んだ後に発言を訂正したくなるだろう)。
そしてもし今のあなたの人生が「膨大な努力と大きな秘密」で成り立っているなら、ひょっとすると本書が何かを変えてくれるかもしれない。タイラー・ハミルトンに賞賛を。そして、いまだ苦悩の中にあるランス・アームストロングに同情と応援を。

タイラー・ハミルトンは、ドーピングの事実を、ひた隠しにした。両親や兄弟にすら、キレイな体であると嘘を貫き通した。家族に嘘をつかねばならなかったことは、本当に精神的にキツかったらしい。だが、奥さんにだけはドーピングのことを伝えていた。異国の地で、アスリートである夫を支える妻が、ドーピングの事実を知らないままでは済まされないからだ。

印象的なシーンとして、こんな場面がある。彼の体内に薬物が残留していたタイミングで、運悪くドーピングの検査官が自宅に現れた。夫婦は、とっさに電気を消し、キッチンの床に這いつくばって、間一髪、居留守でやり過ごせた。もし踏み込まれていたら、彼のキャリアは確実に終わっていた。プロアスリートというより、まるで敵から逃げ惑うスパイ映画の主人公のようだ。

読み終わった後は、彼の生の声を聞きたいと思い、動画を探してみた。

 

■タイラー・ハミルトンの紹介ムービー
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=Za3eJUizwp0[/youtube]

タイラー・ハミルトンの紹介。奥さんのヘイブンさんも登場する。(1:35から)
結局、離婚することになるのだが・・・。

 

 

■BBC HARDtalk – Tyler Hamilton – Former professional cyclist
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=HzTdj4sBB2U[/youtube]

BBCニュースに出演したときのインタビュー。インタビュアーが遠慮無くぶしつけな質問を浴びせるタフなスタイル。
タイラーの答え方はぎこちなく、間を置いて言葉を選びながら回答している。

インタビューはこんなかんじで始まる。

 

「あなたは、なぜドーピングに手を染めたのか?」

「1997年にチームに小さなピルを取るように勧められた。それが始まりだ」

「時期ではなく、なぜそうしたのか?理由を聞きたい」

「ドーピングは当時の文化だった。飲まざるを得なかった。もちろん、銃をつきつけられて飲めと強制されたわけではないので、飲んだ私にも責任がある」

「なぜ、ドーピングしようと決意したのか?」

「さっきも述べたが、ドーピングは当時の自転車界の“文化”だった。飲まないという選択もできたが、それはプロ・レースの世界から身を引くことを意味していた。飲んでプロを続けるか、飲まずに引退するか、しかなかったんだ」

 

 

 

■Tyler Hamilton & Daniel Coyle talk about The Secret Race
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=0IaOAo1NwNI[/youtube]

タイラー・ハミルトン(右)と共同著者のダニエル・コイルのインタビュー。実際に本書を書いたのはダニエル・コイル。
「部分的な事実ではなく、100%の事実を明らかにしたことで、ポジティブな評価を得られた」と語っている。

 

 

■2003 Liege–Bastogne–Liege Dopage?
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=c_MU7jjoH-k[/youtube]

Team CSC在籍時、リエージュ~バストーニュ~リエージュ 2003で勝利したときの動画。(ゴール直前シーンは、23:00から)
アメリカ人として、初めてリエージュ~バストーニュ~リエージュを優勝した。

タイラー・ハミルトンは、どちらかというと内向的な性格のようだ。自分自身を、「僕はインタビューが苦手で、しゃべりはたどたどしい」と語っている。だが、ぎこちない話し方が、むしろ彼の人間臭さを垣間見えさせて、親近感を覚えた。

 

今、彼は一般サイクリスト向けの自転車トレーニング・コーチングで生計を立てている。

 

ウェブサイトはこちら。

個人サイト
(講演したり、チャリティー・ライドを主催している)

Tyler Hamilton Training LLC
(自転車ライダー向けのパーソナル・トレーニングプログラム)

 

ドーピングとはいかなるものか、自転車レースの裏側とはどんなものかを知りたい人はもちろん、一人のプロアスリートの壮絶な生きざまを知りたい人に、強くお勧めしたい。個人的に、これまで読んだスポーツノンフィクションの中で、3本の指に入る作品だ。